昭和42年8月9日 朝の御理解
一つの事が願われ、願いが立てられ、その願いが御神意のままに成就していくということは、決して一足飛びのものではない。その道を、その段階をたどらして頂いて、そしてそれが徐々に成就していくのでございます。これは小さい一つの願い事に致しましても、大きな願い事に致しましても、そのおかげの現われていく状態というのは同じ事でございます。
それはどこまでも本当のおかげを受けるという事のためのおかげですね。その徐々に一段一段おかげに近づいていくというそのことは、どういうことかと申しますと、あれも成就、これも整っていくというおかげになって参ります。
ひとことのおかげのために沢山の事が成就して、そしてそれが完璧なおかげになるまでには、その道すがらと言うものが、その道すがらが実を言うたら素晴らしい。そのおかげそのものが素晴らしいと言うのでなくて、道すがらが素晴らしいのである。その一段一段とそのおかげに向かって進んでいくその過程が素晴らしいのである。その間を今、教団が使われる言葉を持って言うならば、お育てを頂くという事であろうとこう思う。心が成長していく。信心が育てられていくことによって、本当のおかげへおかげへと成就てして行くのであります。その過程が大事である。だからその過程が、ひとことひとこと実意丁寧をもって全ての事を大切にしていかなければならない。おかげの事だけが有難いのではない。その過程が素晴らしい。これはですね、小さい一つの願いにおきましても同じなんですよ。
例えば、体の悪い人が健康になりたいと言うてもですね。その健康というものが成る程、一足飛びに奇跡的におかげをぱっと頂いたようにあるですけれども、もう決してやっぱりその過程があるです。これが本当に神様の願いがいわば、地上になるというような事であればある程、その過程はやはり難しいもの。至難なものであります。けれども、難しい至難であればある程に、その過程もまた、素晴らしいのである。ここ合楽の地に、こうした金光大神取次の場、難儀な氏子の助けられていく場というものがここに定められ、それには言うならば十七年間の信心の歩みというものがここにあるのでございますけれども、実を言うたら、そうではないのですね。もう大坪総一郎がまだ母の体内にある時から、もうその神様の設計というものは、着々として進められていく。言うならば五十四年間という間が、こうやってその事のために進められておるのでございます。
まあ、その例を何時も私が申しますから、皆さんご承知の通りでございますけれども、そんならもうここに神様の願いが、御造営が成就したから、成就したというのではございません。ここでいよいよ難儀な氏子の取次助けられていくためにです、しかも、全教が一新して全教が一家としての、あってのおかげを頂くために様々な問題、様々な過程があります。それを私は、その成就の導火線というか、その発端をなしたものは、やはり私にとっては難儀な問題からでしたですね。だからその難儀な問題というておるけれどもその事も、だから大変な有難いことであったという事になるのです。
私どもが引き揚げて帰った。もう裸一貫で十何人の家族のものをようして、もう本当に信心でもなかったら、路頭に迷うことになっておったに違いないとこう思うような状態の中におかげ頂いた。これではとてもとても私の願いであるところの、まだ両親が十七年間まだ若かったのですけれども、もう八十いくつでしょうか。七十ぐらいでしょうか。もうこの親に親孝行したいとか、喜んで貰いたいという一念で、北京さんがいまで、言わば出稼ぎにいった私ですからね。それで裸一貫で引き揚げてきてこの状態で、もう目も当てられないという状態でしたけれども、神様にですね、どうぞもう私は、この親に喜んでもらいたくてたまらんのですから、この親がもし亡くなったら明くる日から、元の貧乏にかえってもいいからどうぞ私を金持ちにならせて下さいと言ったような単純な願いからね。その代わり神様、修行はどの様な修業でも厭いません。というのが私の本当の信心とか、うその信心とかあるはずはないのですけれども、本当の信心に目覚めてきたのはそこからでした。
そして段々信心を進めていくうちに、その本当の親という、親という焦点が変わって参りましたですね。私の教えの親が三井教会である。いやその上にまだ久留米もありゃ福岡もある。又は小倉もある。段々おかげを頂いていくうちにです、現在のおこがましい表現でございますけれども、この尊いお道がこれで良いのかといったようなことに気付かせて頂くように段々なってきた。その時分、私、それを道修繕と言う言葉を使っていた。金光道という素晴らしい大道が教祖の神様以来百何年続けられてきたが、その、道が何か壊れかかって、まあそれは、その時分の私の考え違いであったかも知れませんけれどもです、ね。これではならない。言わばその道修繕の御用に私使うて頂こうというような、親の焦点が段々変わってきた。
そこに天地の親神様がクローズアップされてきなさるわけですね。大きく天地の親神様の願いが、大坪総一郎の上に現われてくる事の願いがたたえるようになってきた。私の小さい願いじゃない、ね。三井教会じゃない。かく私どもの手続きの親ではない。金光教じゃない。本当に全教一新して全教一家と言う事は、もうあらゆる、例えば合掌して神様を拝むとか、仏様を拝むとか、そして人の幸福を世の中の清まり、改まりを願う、宗教、宗派であるならば、もう何様だって神様だっていいのじゃないか。今こそ全宗教人が打って一丸となって世界の難儀に取り組ませて頂かなければならない時だといったような、まあ言うならば夢のように大きな願いが立てられるように段々なってきた。そして天地の親神様の私にかけられるところの願いというものが成就することのその事を願わして頂く。
そのために様々な問題はあった、ね、親孝行したいといって親不孝ではないか。親教会が大事というけれども親教会をいっちょも大事にしていないじゃないか。それは様々な非難もごうごうとしてございました。その時分に親教会に五年間という疎遠の時代がございました。けれども、ここが桂先生が教えておらるところのですね、親に不孝して神に孝行してという所を私は通らして頂いたつもりである。普通では、親に孝行して神に不孝し、そして親に不孝しておる氏子がある。親に不孝して神に孝行して、そして後に親に孝行している氏子があるとこう仰るその、後者の方を取らして頂いて、どんなにこの親に喜んでもらわねばならんという親が泣き縋っても私はもうそれこそ冷淡のごと平然としてから、それに私は言うならそれにうて合いませんでした。人から笑われても神様から笑われてはならんと言うのが、私の生き方でしたから。そういうような事が段々段々本当な事へ成就して行きつつあるのでございます。
そしてこのお広前の御造営というのも、その神様の願いの一つ、いっかいとしてこういう形で現われているのでございます。
昨日は私の教会長問題で善導寺の親先生のお伴致しましてから、秋永委員長、高橋さんの運転で若先生と五名で小倉に参りました。桂先生のお取り次を頂いて、そして教務所に参らして頂きまして、その中に私は結局、親教会長の立場、私の立場、若先生の立場、同時に信者を代表する者の立場として秋永先生がその立場立場のことを質問になりましてから、そのことをお話さして頂きますその中に、若先生がこういう事を申しています。勝彦先生、貴方が教師になられる時の気持ちを説明して下さいといったような所長の質問に対して、私には別に何と言う事はございません。只この親に喜んでもらいたいという一念でしたということを申しておりました。何もその時はございませんでした。私が道の教師にお取り立て頂くということは
、信心も分かりません。何も分かりませんけれども、この親が喜んでくれると思いましたから、現在は段々それが変わって参りました。それはちょうど私が十年前頂いたどらせて頂いたように、その親よりももっと大事な親があることが段々目覚めてきておるのであろうと聞きながら私思ったのでありますけれどもね、本当に尊い事であり、有難い事である。こう思うのでございます。
昨日私どもがあちらに参っておりますことを、久留米の野口さんが聞いておられたらしい。それで電話がかかり、それから又私そのまま電話を受けずに行きましたけれど、あちらでもうやんがてすみだという頃、富永さんがわざわざ迎えにきて下さいました。ほいでもうあちらにいろいろ大変なご準備、奉仕を受けましてから、あちらで二、三時間位ゆっくりして帰らして頂いたのですけれども、その時私今日一日のことの御礼を申し上げさせて頂いておりましたら、神様から頂きます事が、「七転び八起きの坂で花見かな」と頂きました。
「七転び八起きの坂で花見かな」私どもがこうやっておかげを頂くようになって十七年間、それこそ、只ひとつその事に一生懸命皆さんが執心されました。教会に又は私教会長としてのという事に、けれどあの時に皆さん一生懸命だったけれども、あの時に成就しておったのでは、いけない事を今になって思うのでございます。その時その時を大事に、ならこれとてもどうなるか分かりません。そのこの中に現れておるように確かに矢起きの坂に花見かなといった様に昨日は、状態の中におかげ頂いてまいりましたけれども、これから先とても、どうなるか分かりません。
私は今朝のお夢の中に、甘木の初代安武先生が一番大きく始めに頂いたですね。それから久留米の初代石橋松次郎先生、それから福岡の初代吉木先生、桂松平先生、それから三井教会荒巻先生初代、先生方が一つのテーブル囲んで何か一生懸命討議をしておられる状態を頂きました。どういうことになるだろう。九州のその当時それこそ飛ぶ鳥落とす様な、御比礼と御徳を頂いた先生ばかりが集まられて、しかも久留米関係あり、甘木関係あり、様々な関係の先生方が集まられて何を討議しておられるのであろうか。何を計っておられるのであろうか。それは分からんに致しましても、これからの合楽のその事を先生方の祈りの中に進められていくことのためのご協議でなかったろうかという風に私は想像したのでございます。
私が教会長としておそらくはまあお許し頂くとするならば、十月なら十月に開教式がございますでしょう。その時には、本当に桂先生が御斎主を仕えて下さる。そして手続きは違うけれども甘木あたりでも式に参列して頂くような大みかげを頂かなければならんとこれは、私の夢でございますけれども、そういう願いを持っておるのでございますが、なら七転び八起きという、その七転びの中に、それは七転びが七転びでないという事。神様の願いが、もう一歩一歩そこに近づいて行きよったのだということ。それが一年前ではいかん。二年前でもいかん。皆さんが一生懸命になっておった五年前、十年前であってもいけなかった。いよいよやはりまあ神様、分かりやすく言うならばです、折角大坪総一郎をここの教会長にするならばこういう言うなら教会、まあ私には釣り合わない立派な教会ではありますけれども、ここの教会長としての願いとか思いというものが神様には、おありにはなかったのではなかろうかという風に思うのでございます。
その事から思いまして、お互いの願いというものを立てられ、その願いが成就していく道すがらがここに、十七年間が大事であったということ。十七年間を私どもが疎かにせずに、その事を大事にさして頂いておかげを蒙ってきたということ。
昨日でも所長の話を頂いており日吉次長の話を聞いておりますとです、もうちゃんとお膳立ては出来ておる。私が教会長になり、ここが教会としての発足をするという事を本部の方でも、それを認めておる。教務所事態もそれを思うておるとことでございますから、もう人情として、もう当然大坪先生、貴方が教会長になられるのが本当だという意味の事を言われるんです。けれども後に問題を残さないために、あの事もあるのですよ。こういう面倒な事もあるのですよ、ということでした。だからその事も、この面倒な事もやっぱり実意を持って取り組ませて頂いて、おかげを頂いていかなければならんと言うことが分かります。
お互いが一つの事が成就しない。例えば五年前なら五年前に、私を教会長にお取り立てて下さいという願いを皆さん持たれた。それが成る程この事だけが、どうして成就せんだろうかと皆さんが思うくらいでした。けれどその時成就したのでは、よかったといって喜んだけど知れませんけれども、それでは本当の成就では、いや神様の願いが成就していくという事にはならん。神様の願いが合楽の地にこうやっておかげを頂いていく事にはならんのです。ですから皆さんが例えばお願を立てられておる事でもそうです。それが本当のおかげであればある程に、その過程というものは、実に微に入り細かに渡って神様の働きというものがあっておるのであって、七転びの様にあるけれども、又失敗又おかげ頂かじゃったという事になっているけれども、実はその事が神様の特別の働きの中にあるということをですね、分からしてもらえば分からして頂くほどに、そこの所を実意に取り組んでいかなければならないということが分かります。どうしてじゃろうかという事は決してありません。
そしてこれは私の夢ですけれども、それが神様の又願いであるならば、今日私が申しましたようなことが実現するであろうとこう思うのでございますけれども、これは私の夢。神様の願いであるかも分かりません。まだこれからどうなっていくかも分かりません。ただ八起きの坂でで花見をしているだけでは駄目なんです。
それから先が実を言うたら、まだ大変なのでございます。これは私のこと、心のことを思って、昨日教務所に参らして頂きました事を聞いて頂いたのでございますけれどもその中に、お互いの願いが立てられるという事においても、そうした様々な段階を経てから、おかげになっていくというおかげでなければ本当のおかげの成就でないという事を聞いて頂いたんですね。どうぞ。